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ブログ休業宣言。 [雑感]

ケアホームの仕事を4日から3日に減らしてもらった。
畑の仕事が始まるのと、
町なか再生の運動が本格化することを見越しての措置。
しかし、甘かった。
ゆうきの畑と、自分の菜園と、
そして本命の町なか再生企画。
どれもこれも下ごしらえにかなりの労力、精神力を要する。
これは早い時期にケアホームを
やめなければいけないかもしれない。

このところのIDパスワードトラブルで
WEBで問い合わせすれどメール届かず。
時間もとれず、
今日やっと電話で問い合わせ
やっとの思いで記事アップしている。
しかし忙しさと相まって、ブログ記事アップの戦意喪失。
このブログはしばらく休業させていただきます。
備忘録として「てるりん家庭菜園」に記事を上げていきますが、
コメント、返信などはできないと思います。

長らくお付き合いいただいた方には大変申し訳ありません。

町なか再生企画が本格始動して
ブログが必要になりましたら、
また皆さんのところにお伺いいたします。
カテゴリが変わると思いますが、
その時はまたお付き合いのほど
よろしくお願いいたします。


2年半になりますが、
本当にありがとうございました。
皆様のブログ記事のより一層の充実とご健康を祈ります。

(名残惜しいです)
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何度も死のうかと思いました。元イラク派兵自衛官の訴え [障碍と向き合う]

安倍坊ちゃんは私が最高責任者だといって
憲法の上に自分を置くような発言をしている。
まるでナポレオンの
「私の辞書に不可能という言葉はない」って
言葉を聞いてるようだ。


集団的自衛権の実行を解釈改憲で
推し進めようとしている。
自民党の戦争を知る人たちからは
安倍暴走に大いなる危惧を抱いている。


増えてきたとはいえ、
集団的自衛権「だめ」という人はまだ4割に届かない。
わからない人が4割近くいる。

その人たちに読んでほしい。

以下の自衛官の訴え。

「もう、何度も死のうか、と思いました。
でも、私のような経験をする自衛官をこれ以上
出してはいけない。
国に対して責任を認めさせなければ、
死んでも死にきれない…!」

元イラク派遣航空自衛隊員の池田頼将さんは、
そう静かに、だが固い決意を込めて語った。

池田さんは’06年7月、イラク派遣部隊の一員として、
イラク隣国クウェートの基地に滞在中、
米軍関係車両にはねられた。
だが、事件は隠蔽され、池田さんは治療を受けられないまま
帰国すら許されなかった。
そのために、池田さんには重い後遺症が残ってしまった。
今、安倍政権は、米国等との共同軍事行動を可能とするべく、
「集団的自衛権の行使」の解禁を目指している。

その先にあるものは、
米国の戦争に日本も巻き込まれ、
池田さんのような自衛官を何人も出すことになるという、
平和国家としての終焉ではないか。

◯隠蔽されたイラク派遣中の事故、まともな治療を受けさせず、放置

イラク戦争(03年3月開戦)を支持した日本政府は、
開戦直後から自衛隊イラク派遣を推し進め、
航空自衛隊は04年1月から08年12月まで、
16期にわたりイラクに派遣。
池田さんが派遣されたのは、第9期(06年3月~7月)。
小牧基地所属の航空自衛隊小牧通信隊として
愛知県・小牧基地からイラク隣国
クウェートのアリ・アルサレム基地へ派遣された。
事故が起きたのは、06年7月4日のこと。
基地内での米軍主催のマラソン大会に参加した池田さんは、
米民間軍事会社KBRの
大型バスに後方から衝突されたのだった。

「突然、ドスンという鈍い音がして、
私は意識を失いました」(池田さん)。
意識を失った池田さんは、
救急車で米軍の衛生隊に搬送された。
その時、一度、意識を回復し、
自分が事故にあったことを悟ったと言う。

池田さんにとって不幸であったのは、
米民間軍事会社KBRのバスに跳ねられたことだけではなく、
事故後、自衛隊による「裏切り」が幾度も続いたことだった。

「眼球の奥や、首、肩がすごく痛く、
体を動かすことすらできなかったのに、 米軍の衛生班には『異常なし』と診断されました。
自衛隊側も『米軍側が異常なしと言っているのに、
それと反する診断ができるわけない』という有り様。
クウェートの病院に連れて行ってもらったのですが、
言葉の違いもあり、私の症状をうまく伝えられず、
治療はできませんでした」(池田さん)。

結局池田さんに対し米軍、民間軍事企業側からも、
謝罪や補償は得られなかった。
その上、治療のための帰国を
何度も上司にかけあったにもかかわらず、
事故にあってから2ヶ月弱もの間、
ろくな治療も受けられないまま、
池田さんは帰国が許されなかったのだ

当時、池田さんの事故について情報を掴み、
報道した記者は皆無だった。
池田さんの事件が公表されなかったのも、
彼の帰国が許されなかったのも、
事故発覚による自衛隊イラク派遣への影響を
防衛省-あるいは政府自体が懸念したからではないだろうか。

池田さんが事故に遭ったのは2006年7月4日。
航空自衛隊が
それまでイラク南部サマワ周辺までだった活動範囲を、
中部のバグダッド周辺までに拡大した直前のこと。
この、バグダッド周辺への空輸拡大には 米国側から強い要請があった。
それは、航空自衛隊「国連など人道復興支援関係者や物資の運搬」
という当時の日本政府の説明とは裏腹に、 米軍など多国籍軍の兵員や物資などを運搬 が主だったものだったからだ(関連記事)。

そうした政治情勢の中で、
池田さんの事件は
絶対に国民に知られてはいけない事件だったのだろう。

◯何度も考えた自殺、同じような犠牲を出さないための裁判
池田さんの食事は流動食のみ。
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池田さんは帰国後も、事故の後遺症をめぐり、
自衛隊内で執拗な嫌がらせを受け、肉体的にも働くことが難しかったため、
2011年10月、退職。
結婚していた池田さんだが、退職が原因となり、離婚した。

池田さんは現在も深刻な後遺症に悩まされている。
左腕は肩から上にあがらず、
右手も力を入れると震えて、
自分の名前すらまともに書けない。
池田さんは、あごの蝶番となる軟骨円板を失ったため、
1ミリ程度しか、口を開けることができない。
一般の食事は一切取れず、
わずかな隙間から流動食を流し込む
それが現在の池田さんの食事の全てだ。

「眼球の奥や首、肩、腰などの慢性的な痛みに悩まされ、
大量の睡眠薬を使って強引に眠らないと
睡眠を取ることすらできません」
と池田さんは言う。
以前は、野球観戦に行くのが趣味だった池田さんだが、
体が思うように動かず、今はほとんど自室に篭りきりだ。

「自殺することを何度も考えた」と語る池田さん。
その池田さんが辛うじて踏みとどまり、
2012年9月、国を相手取っての裁判を起こした理由は
「恐らく同じ様な境遇にいる自衛隊員がきっといる」
という思いだ。
池田さんの裁判は現在も名古屋地裁で係争中である。

◯米国のために、自衛官の命と安全を差し出す安倍政権
「二度と自分と同じような経験を自衛官達にさせてはいけない」
と語る池田さんだが、
安倍政権が今国会中にも目指すという
「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定がなされたら、
池田さんの様に、国に裏切られ、
使い捨てにされる自衛官達が続出するかもしれない。

集団的自衛権とは、端的に言えば
「米国の戦争に巻き込まれ権」だ。
米国が何者からか攻撃された場合、
日本が攻撃を受けてなくとも、
日本は米国と共に、その「敵」と戦うというものである。
米国は、太平洋戦争後から現在に至るまで、
常に紛争当事国であった国だ。
集団的自衛権の行使が容認されるようになれば、
米国の抱える紛争に日本も巻き込まれ、
米国のために自衛隊が
戦地へ送り出されることになるかもしれない。
自衛官の負傷や死亡する事態は避けられないだろう。
そうなれば、日本を守るためでなく、
米国の戦争に駆り出され、
自衛官の負傷や死亡することに
日本の世論が批判的になることを嫌い、
自衛官の負傷や死亡は隠蔽されやすくなる。


安倍首相が、憲法改正を経ずに閣議決定のみで
「集団的自衛権」を行使できるようにしようとすること自体、
憲法を無視した独裁者の振る舞いであり、噴飯ものだ。
その上、米国のために、
自衛官の命や安全を差し出すことは、許されないだろう。


*今週木曜日、池田さんの講演が都内で行われます。

「元イラク派遣空自隊員と問う、集団的自衛権」2014年3月20日16時から17時半まで(15時半開場) 

*予約不要。議員会館入り口付近で入館証を配布

【会場】衆議院第二議員会館 多目的会議室

http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kokkaimap.htm

【資料代】500円(+カンパ歓迎)

【詳細】http://iraqwar-inquiry.net/?p=678841194


以上
志葉玲
フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)記事より
as

事故前と後の放射能汚染安全基準 [雑感]

昨日の記事で思い出したのが土壌汚染の話。

以下、ドイツの研究者の報告抜粋。

放射能の土壌汚染について、
福島原発事故をチェルノブイリ
事故と比べる
Dr.Frank Brose, Berlin.

最高の土壌汚染は1400万ベクレル(双葉郡浪江町)です。
ご存知のとおり、20 キロ圏内について、
住民が3月の下旬に避難しなければなりませんでした。
それでは本当に不十分です。
これから、30~40キロ圏内にある
いろいろな市町村に住んでいる住民も避難し
な ければなりません。
チェルノブイリとその周辺と比べれば
福島原発周近の土壌汚染はそれと等しいです。

セシウム137の 最高の土壌汚染は
福島原発第一号の近隣で1400万ベクレル/平米です。
1986年にチェルノブイリの周辺の最大値は1470万ベクレルです
(ノヴォジェレナ村)

ドイツで有効な放射能の限界線は下記のとおりです
「連邦放射線保護庁(Bundesamt für Strahlenschutz)」。
- 放射能の限界線量(住民)は1年間当たり1 ミリシーベルト/年

作業員の放射能の限界線量は1年間当たり20ミリシーベルト/年。

2001まで1年間当たり1.5と50ミリシーベルト/年でした)。

つまりドイツはチェルノブイリ以後基準が厳しくなった

- 長期の疎開についての基準値は年当たり100ミリシーベルト/年です。

* 米国の放射能の限界線量は12.5ミリシーベルト/3月です(= 年間
50ミリシーベルトです)。

「労働安全衛生庁「Occupational Safety and Health Administration(OSHA)」。

* 日本では新しい最大限界線量(子供)が20ミリシーベルト/年です
(福島原発の事故の前に、放射能の限界線量(住民)は1ミリシーベルト/年でした)。

つまり日本は基準が甘くなった。

二国のこの違いが原発推進と自然エネルギ転換の
政策の違いになってるのか。

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ピアカウンセラーの力 [障碍と向き合う]

当事者の声を聴く研修会に参加した。
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(どちらかの研修会お借りしました)
当事者の方3人から一通りの報告があって
質疑応答に入った。

40代の主婦らしい人が質問した。

「わたしも統合失調症です。
これまで、メンタルケアセンターで
週2回夕食を作って食べること(作業療法)が
できたのですが、
このごろそれがなくなっていまいました。
主人もうつ病ですが仕事をしています。
帰ってくるのが遅いので、
食事の支度は私がほとんどです。
調子のいい時はいいのですが、
悪い時はほんとに何もする気が起きません。
主人は何も言いませんが
働いて疲れてくる主人に申し訳なくて、、、
みなさんはどうなさっているのでしょうか」

と切々と質問をした。
3人の当事者が口々に言ったのは、
「私もそうです。
できることしかできないので、
お皿を洗ったり、洗濯や掃除をしたり、
そういうことで穴埋めしています。
ほとんど、妻、家族に頼り切りです。」

それを聞いた主婦の言葉
「あの、、、ほんとに、、、とても勇気をもらいました。」

そして涙声になって続けた。

「どうしてできないのかって、、、
ずっとつらかったのです、、、、
みなさん、、、、みなさんそうなのですね。
今のままでもいいんだって
そう思えました。ほんとにありがとうございました。」
そう言い終えた主婦に
参加者から共感と励ましの拍手が起きた。

わたしももらい泣きした。
書いている今もまた涙が出てきてしまって
パソコンがずべってカーソルが動かない。

うちのツレは
ブリ大根と、コールスローサラダ
カレーとシチュー、おでんしか作れなくなった。
(書いていたら、比較的作ってることに気が付いた)
以前は自分から味噌汁も作り、
煮ものも作り鍋物もつくり、漬物や、豆腐を切るくらいはした。

しかし、
今はどうかというと、具体的な指示をすればできるが、
材料をそこにおいただけでは仕事にならない。
豆腐を切るくらいのことを
いちいち言わなければならないことに
わたしは暗然として、そして苛立ってしまう。
なんでそんなことできないのかと。

医者は

焦らないで、頑張らないで、
無理をしないで、
などと言って、患者の気持ちを和らげてくれる。

そういわれても
実際家に帰れば、忙しく動き回る家族の中で、
一人ぽつんと取り残された気分。
何かしなければと気ばかり焦るのに、
実際には何も手が出ない。
家族は
何も言わないけれど、
ほんとはもっとやってくれればいいのにと
思っているに違いない。
(実際私はそう思うことがたびたびあるのだ)
そう考えるとわたしはなんてダメな人間だろう、、、

そういう思いの主婦の吐露だった。

実はツレもこの研修に参加していた。
帰ってきて、

「気持ちが楽になった。」
そう言った。

胸を突かれた。

わたしはやさしくない
常々そう思って自分を責めていたとき、
自分の家族には優しくなれないことが多い。
ということばをみつけ、救われたことがある。
ツレの言葉にたいして、
わたしは私でその言葉を思い出して自分をなぐさめた

同じ悩みを抱えるもの同士が支えあう、
ピアカウンセラーの力を感じた研修だった。

つくろうとしている「居場所」は
共感にあふれた場所にしたいなぁ。

そこで思い出したラジオ放送。

「本音で話す。それを否定しない。まずは受け入れる」

福島被災地の何かの会合の紹介だった。
農民の言葉が印象に残っている。
「地産地消に反対です、と若いお母さんが言った。
ショックだった。
検査を通っている自分たちの農産物
を使いたくないといわれたのだ。
しかし、とりあえず受け止めた。
そして考えた。
結論はそのお母さんにも
笑って食べてもらえるものを作るしかないと。」

実際には、
福島の地域の汚染度は報道から消えてしまっているが
チェルノブイリ比較がFBによく載っている。
安心できるレベルのところはない。
然し国は安全基準を下げて実態をひた隠している。
本当の安全基準を明らかにしない限り
農民の安心は得られないに違いない。




やけどの手当てにくまの油を塗った [雑学]

 先日ケアホムの調理中に熱湯でやけどをした。
手首の内側の柔らかいところに
着ているものの上から熱湯がかかってしまったのだ。

(この状態は馬油1度塗ったきりで3日目。
気持ち熱っぽいが痛みは全くなし)
2014-03-15 001.JPG

かなり深い感触だったので、腕をまくって
とりあえず水で冷やし続けた。
水が冷たくて痛いのか、
やけどが痛いのかわからない感じだったが、
少し痛みが和らいだので、続けて仕事をしていた。
しかし、しばらくするとひりひりと痛みが出てきて、
これは何か手当をしなければいけないと思ったが、
ホムにはやけど薬の買い置きがない。
何気なく、世話人の女性Oさんにいうと、
「あ、クマの油」といって
「持ってるから家から持ってきてあげる」と
親切なお言葉。
何でも東山で猟師さんが撃ち取ったクマの
手づくり?油だそうだ。

届けてもらってすぐ塗ると、
しばらくしてあら不思議、
痛みが消えてしまった。

うちには馬油があって、
やはりやけどに使うのだが、
クマの油は初めての体験。
しかし動物油がなぜ効くのかと思って調べてみた。

以下引用の①

『火傷をしたら、先ず水で冷やすこと』
と言うのが、現代の医師が指導する常識ですが、
私は『先ず、一秒でも早く馬油を塗布すること、水冷は不要』
と断言いたします。

どうしても水か氷で冷やさねば不安な人は、
馬油を塗った後にすること。
※気休めと言うのも、心療医学的には効果があると言われますから・・・。
 水ぶくれが出来る程度までの火傷は、
すぐに馬油を塗布し包帯すれば、
痛みもすぐ に消え、数日で完治しますが、
完治までの日数の長短は、
火傷して馬油を塗るまでの時間の長短に正比例します。
つまり、水で冷やしたりして馬油塗布が遅れると、
痛みも長引き、治る日数も長引きます。

(ここから油がいいという理由)
火傷とは、外部からの加熱で、 人体の表面が火災を起こしている状況といえます。 火災とは、《急激な酸化作用》をしている事で、 水で冷やすのは消防車が放水して 鎮火しようとするのに似ています。 馬油は水ではなく、 消火器が出す《炭酸消化剤》とでも思って下さい。 水よりも遥かに強力に早く鎮火します。 その理由は、完全に皮膚の空気(酸素)を排除し、 遮断するからです。 水で冷やしても、 毛穴の奥や皮下組織に空気(酸素)が残りますから その酸素が尽きる何分間かは、火傷は進行します。 馬油を塗布すると、三十秒で火傷の進行は停止します。

相当ひどい火傷でも直ぐに塗布すれば、
痛みも数分で和らぎます。
馬油の製造工程で、
百二十度くらいまで加熱して脱水する工程がありますが、
或る時不注意で、
煮えたぎった馬油の中に腕を突っ込んだ女性がいました。
普通は、油で火傷すると熱湯の火傷よりひどいのです。
熱湯は百度以下、油は百二十度、
しかも粘度があって附着度が強いからです。
その女性の腕は真赤になり、約五分間は痛みましたが、
三十分後には平常の肌に戻りました。
火傷したとたんに馬油を塗った、
のと同じ事の結果ですが、
『一秒でも早く……』と断言する最適の実例です。
現在の医師の治療法では、
度数3の重症火傷はケロイド皮膚になるのが常識ですが、
馬油治療でケロイドになった事は一度もありません。
医師の治療を受けている人でも、
患部がただれている間なら間に合いますから
(四~五日位まで?)、
ケロイド痕を残したくなかったら
馬油に切り替えることをお奨めいたします。

 手当ての方法は、先ず、たっぷり馬油を塗ったら、
二枚折りにしたガーゼにも馬油を塗りつけて傷口に当てます。
次に、ガーゼの上からビニールシート
(わたしはラップでいいと思うけど)を当てて包帯します。
ビニールシートは食品用の薄いビニール袋等を切って作ること。
子供などは動き廻って患部をこするので、
ビニールの上からタオルなどを当てて
その上から包帯した方が良いでしょう。
馬油塗布量が充分だったら、
包帯したまま一週間位はそのままにしていて良いのですが、
心配だったら翌日包帯を取って見て下さい。
もし馬油が不足しているようでしたら、
ガーゼの上から塗り足すだけで、
又元通りに包帯をします。
大切な事は、ガーゼが血汁で貼りついていたら、
絶対に剥ぎ取らぬことです。
重症の場合は、傷からは血や、
《黄色い膿かと思われる血漿》がガーゼに滲み出て、
それが臭いので化膿しているのではと必ず心配しますが大丈夫です。
この三十数年の間に、
大変な数の経験をしましたが一人も化膿したことはありません。
患部に当てているガーゼは臭くなり、
ガーゼの馬油には細菌が一杯吸い取られて生きていますが、
馬油に捕まった細菌は人体に戻ることは出来ず、
化膿を起こすことも絶対に不可能なのです。
貼りついているガーゼを剥ぎ取ると、
折角出来かけている新しい皮膚が破れ、
それを繰り返すと必ずケロイド肌になります。

 3度の重症の場合、
七日~十四日ほどで新しい薄い皮が出来て、
ガーゼの貼り付きが解け痛みもなく
スルリと剥ぎ取れるようになります。
しかし新しい皮膚はまだ薄くて、
赤色や茶色、黒色をしておりさわると痛いでしょう。
そこで初めてガーゼを新しく取り替え、
最初と同じ手当てをします。
その後は、毎日少しづつ皮が厚くなり、
触っても痛くなくなったら、
包帯を取っても良いが、
赤黒く変色している患部には、
毎日薄く馬油をすり込み続けて下さい。
患部が完全に元の肌に戻るのは、
包帯がとれてから、一ヶ月くらいです。

(以上これ馬油を作った人のHPから)

しかし豚や牛の脂、普通の植物の油じゃだめなのかなぁ。
ちなみに次は現代医学の説   





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